江戸時代の大奥では狆(ちん)犬への食事は〇〇で!?
2024.09.19
江戸時代、五代目将軍 徳川綱吉は”生類憐みの令”発令のもと
様々な犬の保護が行われていた件に関しては
以前
”江戸時代(1603年 〜 1868年)、生類憐みの令の裏で・・・。”
その昔、日本では犬の薬として〇〇を食べていた!?
江戸時代、保護された野犬達の中で病犬には〇〇を与えていた!?
にも記載している通りです。
今回はそんな中、千代田城(江戸城)での将軍の側近や、
御台所(みだいどころ)※大臣・将軍家など貴人の妻、
お局、老女等について当時の状況を詳しく記載された文献が
ありましたのでここでご紹介いたします。
当時、大奥で飼っていない者はまずない。と言われていた位
皆、狆(ちん)犬を飼われていたそうです。
名前は様付けで、
丸様や、玉様と言う風に呼ばれていたそうです。
町の”やぶ医者”がたまたま城の中の体調のすぐれない狆犬へ
独自で薬を配合し、人伝いでその薬が大奥に伝わり
功を奏し体調が回復した後、そのやぶ医者が江戸城の中の
狆犬専門の獣医として迎え入れられ大出世。と言う
エピソードがある位、犬が愛されていたいた時代だと言えます。
また、大小便の後には
”小菊紙”(⇒茶道のお稽古などに最適な無地の懐紙。
もとは、和歌・連歌・漢詩などをしたためるのに使われていたそうです)で
取ってやっていたそうです。
そして、日常の食事の際は
飼い主さんが”箸(はし)”で食べさせていたそうです。
(犬の百科事典 より参照)
江戸時代の大奥の中の雰囲気が何となく伝わってくる文献内容でした。
箸を使って与えると言うのはとても日本の文化を感じてしまいますね。
一方で当時城下町での野犬の数も相当多かったらしく、
保護する犬小屋を大久保(現在の新宿区?)に1つ建てた後、
またすぐ中野(区)に16万坪の施設を建てた。との記載がありました。
勝手に想像するのですが、犬を飼える人と飼えない(泣く泣く手放す方もいた!?)人との
差が大きく広がっていた時代で、犬たちはどのような思いで
日々を過ごしていたのかが気になりますね。
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