江戸時代、保護された野犬達の中で病犬には〇〇を与えていた!?
2023.09.22
以前にも取り上げた江戸時代(1603年 〜 1868年)において
生類憐みの令を受け、犬を飼育できなくなった家庭が急増し
野犬が町にあふれてしまったお話は以前
(2023.05.08)に述べた通りですが、
今回はその野犬についてもう少し深堀したお話を。
中野(現在の東京都中野区)の犬小屋(今で言う保護施設)は
最も記録が残っている施設だそうで、
当時犬は万に近い頭数が収容されていたそうで、
犬小屋奉行1人、侍2人、雑卒(身分の低い兵士)が数十人いて
日夜犬が吠え続け、その声が犬小屋の外まで聞こえていたとの事です。
江戸市内の野犬は、元禄十年には48748匹に及び
犬の食費(食事)も1日10匹あたりで白米3升(約4.5kg)、
味噌500目(約2kg)、干鰯1升(約1.5kg)だったそうです。
そして、病犬には”鰹節”と”田作(ごまめ)”と生魚等を与えていたそうです。
(犬-その歴史と心理- より参照))
1万匹に近い犬がいる中で恐らく100人も居ない人間でお世話をする。
そして、その犬たちには人間と同等、もしくはそれ以上の生活を提供する。
願わくばタイムスリップをして当時の犬小屋奉行の方に詳しくお話を聞きたい気持ちになりました。
そして、鰹節は人間にとって栄養が豊富と言われていますが、
病犬にとっても栄養食として食されていたと言う事が記載されていた文献内容でした。
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