伊達綱宗が飼っていた唐犬、骨の形状から●●な食べ物で育った!?
2025.09.18
伊達政宗の孫のあたる三代目の仙台藩主・伊達綱宗。
実際の所、遊び呆けて仕事をしなかったそうです。
その状態が続き、家臣達から幕府へ
隠居するようにと直接願い出られたそうです。
その結果、仙台坂遺跡(旧伊達藩の下屋敷跡)で
隠居する事となったそうで、
そこで大きな唐犬(シェパードクラスの大型犬)と共に
余生を過ごされたそうです。
その唐犬の骨の形状から
”柔らかい食餌(しょくじ)”で飼育されていた。と
分析されたようです。
お殿様の犬ならそうなる。と言った所でしょうか。
また、別の(方が住まれていた)町屋遺跡跡からも
怪我の治療痕や歯槽膿漏の痕跡が見受けられる
大型犬の骨が発掘されていたそうで、
その犬も歯槽膿漏だった。と言う事で同じく”柔らかい食餌”で
飼育されていたのだろうと推測されます。
(愛犬の日本史〜柴犬はいつ狆と呼ばれなくなったか〜 より参照)
犬における欲求(ストレス発散?)の一つに”噛む事”があると思います。
今回ご紹介した犬達は犬生の中で固い物をあまり噛まずに生きて来たんでしょうかね?
当時は今で言う「歯磨きガム」みたいなものは無かったでしょうから、
何かの骨を与える。と言うのが一般的だったんだとは思います。
実際に犬の立場になってみると、きっと歯槽膿漏が進行していくにあたって
犬自身、とても辛かったのではないかと安易に想像できます。
ただ、与えてもらっていた食べ物自体
当時としてはとても美味しい物ばかりだったんでしょうね。
本当の幸せとは?? ん〜、、、、何だか複雑なお話ですね。
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