東京浅草にあるすき焼き屋さんと狆(ちん)犬との興味深い関係とは!?
2025.09.09
日本ではその昔、一般的な犬を「地犬」と呼び
狆(ちん)は「犬と猫の中間に在る意」として
その漢字がケモノ扁に「中」と言う字の読み解きになる位
その地位は確立していたようです。
事実、明治40年(1911)に発行された「動物写真画帖」内の
「犬と狆」と言う項には「狆も亦(また)、
犬の一種でありますが」と記されているそうで、
他の犬と一緒には出来ないと言う事だろうと推測されていました。
江戸時代、狆を扱う業者は主に
愛玩目的で飼う小鳥や食肉などを扱っている「鳥屋」だったそうです。
明治13年創業の東京浅草で最も古いと
言われているすき焼き屋「ちんや」様は
江戸時代には大名や豪商を相手にされる
ブリーダー兼獣医であったことから
「狆屋」を屋号としたと言う事です。
(愛犬の日本史〜柴犬はいつ狆と呼ばれなくなったか〜 より参照)
今回は”食”と”犬”と言う一見全く関係が無いように見えて
実は関係があったと言う、このコーナーの趣旨に
かなり沿ったお話だと思いこちらでご紹介いたしました。
当時一般的な”狆”に対する扱いの違いがわかる内容でした。
以前もこちらのコーナーでご紹介させてもらったように、
狆への食事はお箸であげていた。と言う話が有る位
大切にされていたんだろうなぁ。と想像します。
また同じく当時「地犬」と呼ばれていた犬種達も
どんな子たちがいたのか知りたいですね。
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