外国人初の富士登山、●●を食べるのが好きな犬も同行していた!?
2025.07.10
1860年(万延元年)⇒江戸時代末期 に
イギリスの初代駐日公使・オールコック氏と言う方をはじめとした
一行八人で、前例のない外国人による富士登山を行ったそうです。
当時、日英修好通商条約により
一般外国人が旅行できる範囲は限られていたそうですが、
外交官には日本中どこでも旅行する権利があったそうで、
その権利を主張して実現したそうです。
監視を兼ねた幕府の役人、駕籠(かご)かき、人足を合わせると
総勢100人、荷物運びの馬が30頭も居たそうです。
実はこの中に自身の愛犬である”トビー”(スコッチテリア)も
連れて来ていたそうです。
一行は悪戦苦闘を続けながらも山頂に到達したそうです。
ただ、登山の際にトビーが同行したかはわからないとの事でした。
(記録に残っていないとの事)
山頂でオールコック氏は拳銃を火口け向け発射したり、
万歳を三唱したり、富士山の雪で冷やしたシャンパンで
”女王陛下の健康”に乾杯したそうで、
日本人はこの儀式を見てびっくり仰天していたそうです。
富士登山を終え帰途、熱海に立ち寄ったそうで、
そこでトビーは大湯と呼ばれる間歇泉(水蒸気や熱湯を噴出する温泉)の
熱湯を浴びてしまうと言う
不慮な事故を受けて亡くなってしまったそうです。
オールコック氏は宿泊していた「本陣」と言う宿所の庭に
宿所代表者の許可を取り、トビーを埋葬したそうで
好物であった”豆”と一緒にお墓に埋められたそうです。
(「犬たちの明治維新」 より参照)
事故にあうまでのお話はとてもほのぼのとした光景がイメージできます。
その時の日本人の方々は「犬と一緒に」と言うのは半分信じられない。と
思っていたのかなぁ。なんて想像してしまいます。
後日談があり、イギリスの軍艦が”富士登山”と”熱海訪問”
2つの記念碑を熱海に運んできたそうです。
トビーの墓石はその後の地震等により所在知れずになっているそうですが、
2つの記念碑は熱海市に現存しているそうです。
ただただ、トビーは何の豆が好きだったのか気になりますね。
やっぱり枝豆なのでしょうか、、、。
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